今回はポルトガル第二の都市、ポルトの旅について綴らせていただきます。
飛行機でポルトガルのポルトへ
我が家は飛行機でポルトガルのポルトまで行き、ポルト空港(フランシスコ・サー・カルネイロ空港)からポルト市内のトリンダーデ駅(Trindade)まで地下鉄で行きました。ポルト空港からポルト市内までは約15㎞と割と近く、地下鉄で約30分で到着します。
ポルトの観光
ポルトガル概要
ポルトガルがあるイベリア半島は711年からイスラム王朝に統治されていましたが、キリスト教国家による国土回復運動(レコンキスタ)により次第にキリスト教国家の国土が回復していきました。1143年、ポルトガルはキリスト教国家のカスティリャ王国から分離独立する形で誕生し、1249年にポルトガルのレコンキスタは終了しました。その後、ポルトガルの首都リスボンは北ヨーロッパや地中海の貿易の中継地として栄えました。
ポルトガルはスペインより一足早く国土回復運動が終了したので、スペインより早く大航海時代を迎えました。初代ポルトガル国王の王子であるエンリケ航海王子(1394〜1460)はアフリカ西岸のヴェルデ岬などアフリカ西岸の航海を推進しました。また、1488年にはバルトロメウ=ディアスがアフリカ大陸南端の喜望峰に到達しました。そして、1498年にはヴァスコ=ダ=ガマがインドのカリカットに到着したことで、ポルトガルは東回りのインド航路を手に入れ、香辛料の貿易などで多くの利益を得ることが出来ました。
1543年にはポルトガル人が日本の種子島に到着し鉄砲が伝えられ、1549年にはフランシスコ=サビエルが鹿児島に到着し、日本にキリスト教を伝えました。
ポルト観光
ポルトの旧市街地は1996年にユネスコの世界遺産に登録されています。ドウロ川の両岸に白壁にオレンジ屋根の家々が立ち並んでいて、ジブリの「魔女の宅急便」のモデルの町とも言われています。
ドン・ルイス1世橋
ドウロ川にはドン・ルイス1世橋が架かっています。ドン・ルイス1世橋はパリのエッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェルの弟子の一人、テオフィロ・セイリグが設計し、1881年から1886年にかけて建設されました。ドン・ルイス1世橋は2階建て構造になっており、上層はメトロと歩行者、下層は自動車と歩行者が渡ることが出来ます。
サン・ベルト駅
ポルトにあるサン・ベルト駅は構内に2万枚のアズレージョ(スペイン・ポルトガルで生産されているタイル)が貼られていて、とても美しい駅です。
リベイラ地区観光
ドウロ川沿岸のリベイラ地区には、カフェやお土産屋さんが並んでいます。ドウロ川の遊覧船に乗って観光することもできます。
ポルトの町歩き
ポルトガルの宿
ポルトガルではドウロ川を眺めらえる部屋に泊まることにこだわりました。ポルトガルは物価が安いので、結構安くアパートを借りることが出来ました。
ポルトガルの名物料理
ポルトガルでは日本以上に魚がよく食べられているそうで、魚料理が沢山あります。魚に塩を振って焼いたようなシンプルな味付けの料理が多いです。白身魚のフライもとても美味しかったです。海に面したポルトガルでは新鮮なお魚が沢山とれるので、低価格で美味しい魚料理が沢山食べられました。
ポルトガルのお土産
ポルトではあちこちでニワトリの置物が売られていました。「ガロ」という伝統工芸品で、ポルトガルでは縁起物だそうです。
まとめ
ポルトは治安が良くて、物価も安くて、食べ物も日本人好みでとても旅行しやすかったです。ただ、冬は霧雨が降ったりやんだりするので、行くなら夏の方がお勧めです。
ポルトガルはスペインのすぐ隣にあるのに、ありがとうは「オブリガード」です。イタリア語の「グラッチェ」とスペイン語の「グラシアス」とは全く似ていないのが不思議です。
「オブリガード」はむしろ「ありがとう」の方が似ている気がします。やっぱり、ポルトガルってなんとなく日本に似ているところがある、そう感じました。
ポルトガル料理の主食はお米で、シーフードが豊富。日本人のお口にも合いやすく、ほっとする味だと思います。
ヨーロッパの旅行で日本が恋しくなったら、ぜひポルトに行って美味しい魚料理を食べてください。
読んでくださり有難うございました。