子連れ旅行、イタリアのローマとバチカンの旅について

今回は、ローマに2泊3日の子連れ旅行した時のことについて綴らせていただきます。

飛行機でイタリアのローマへ

我が家は飛行機でローマ市内から西に約30㎞のところにあるフィウミチーノ空港に行き、フィウミチーノ空港からローマ市内の玄関口であるテルミニ駅までシャトルバスで行きました。

みどり
フィウミチーノ空港はイタリア最大の国際空港の一つで、イギリスのeasyjetやスペインのvuelingの2大格安航空会社のハブ空港になっています。

ローマの観光

ローマの観光はテルミニ駅から出発して、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂コロッセオカラカラ浴場真実の口フォロ・ロマーノトレビの泉パンテオンナヴォーナ広場スペイン階段サンタンジョロ城サン・ピエトロ大聖堂の順番で観光しました。なお、ローマ市内にはテルミニ駅を中心にA線とB線の2本の地下鉄の路線があるので、目的地付近まで地下鉄で移動することが出来ます。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂

テルミナ駅から徒歩約7分(約550m)のところにサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂があります。356年、「今晩雪が降った地に教会を建てよ」と聖母のお告げを夢の中で聞いた教皇リベリウスが、真夏に雪が降った奇跡があったこの場所にサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を建てました。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の外観。
バシリカ様式の内部。バシリカ様式は古代ギリシャ建築から影響を受けた古代ローマ時代の建築様式で、長方形の建物に入ると長い身廊があり、奥に祭壇があります。
内部の中央廊には36本の大理石の柱があります。
奥にある祭壇です。大理石のとてもゴージャスな柱がありました。

コロッセオ

次に、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂から徒歩約15分(約1.2㎞)のところにあるコロッセオに向かいました。コロッセオは、ヴェスパシアヌス帝の命により80年に完成された古代ローマの円形闘技場です。当時、富裕層が剣闘士の試合を催して市民に娯楽を提供しました。コロッセオは約5万人が収容できる競技場で、日よけ用のテントのあるドームでした。フィールド部分の木製の床がなくなり、地下施設が露出しています。当時は地下施設に剣闘士の控室や猛獣の檻などが設置されていました。

円形闘技場の中です。ローマには紀元前509年から紀元前27年までは共和制の国家がありました。それ以降から紀元後395年に分裂するまで、元首政のローマ帝国がありました。
猛獣の檻などがあった地下施設。こんな古い時代にこれだけ大きな建物を建てる建築技術があったというのが凄いと思います。でも、娯楽の内容は野蛮だなぁ…。

カラカラ浴場

コロッセオから徒歩約14分(1.1㎞)のところにカラカラ浴場があります。カラカラ浴場はカラカラ帝が在位していた212年から217年にかけて建造された社交とリラクゼーションを目的とした浴場です。当時は1600人が同時に入浴できた世界最大級の浴場で、6世紀まで使われていました。更衣室、プール、ホール、ラウンジ、高温浴室、微温浴室、冷温浴室、サウナなどが配置されていました。地下で石炭を燃やして温水や熱が供給されていました。

古代ローマの技術の高さに圧倒されます。

真実の口

カラカラ浴場から徒歩約19分(1.5㎞)のところに真実の口があります。映画「ローマの休日」でアン王女がこわごわ口に手を入れた石の彫刻です

私も口に手を入れてみました。嘘をつくと手が抜けなくなるらしいですが、私は大丈夫でした。

フォロ・ロマーノ

真実の口から徒歩約11分(約800m)のところにフォロ・ロマーノがあります。フォロ・ロマーノは古代ローマの共和制時代の中心地で、政治、裁判、商業取引などが行われていました。

ローマ市内には古代ローマの遺跡があちこちに見られました。

トレビの泉

フォロ・ロマーノから徒歩約11分(約900m)のところにトレビの泉があります。古代ローマ人は高い土木建築技術を持っており、水源地から都市部への水供給に水道橋を建造し、都市内部では地下水路を整備し、随所に貯水池や公共水場を設置したり、公共浴場に利用したりしていました。ローマ時代の一日当たりの水の供給量は100万㎥もありました。現在のトレビの泉は18世紀に建築家二コラ・サルヴィが再建したものです。

「後ろ向きでコインを泉に投げ入れると再びローマを訪れることが出来る」という言い伝えがあるトレビの泉。私が行った時は残念ながら工事中で水が抜かれていました。

パンテオン

トレビの泉から徒歩約7分(約650m)のところにパンテオンがあります。パンテオンは紀元前27年から25年にアグリッパが建て、118年にハドリアヌス帝が再建しました。世界最大の石造り建築です。

中の写真を撮り忘れたのですが、ドームの中央に直径9mの丸井天窓があって、とても綺麗でした。

ナヴォーナ広場

パンテオンから徒歩約5分(約400m)のところにナヴォーナ広場があります。ナヴォーナ広場の中心に「四大河の噴水」という彫刻があります。「四大河の噴水」はバチカン大聖堂の前にあるバチカン広場を設計したベルニーニ(1598‐1680)が造った彫刻です。

設計も彫刻も出来たなんて、ベルニーニ凄いなぁ。

スペイン階段

ナヴォーナ広場から徒歩約14分(約1.2㎞)のところに、映画「ローマの休日」でアン王女がジェラートを食べていたスペイン階段があります。

すごく混んでいました。スペイン階段ではジェラートを食べるのが禁止されています。近くのジェラート屋さんでジェラートを買って食べました。

サンタンジェロ城

サンタンジェロ城は135年、ローマ帝国の五賢帝時代のハドリアヌス(117‐138)が自らの墳墓として建設を開始し、139年に完成しました。

バチカンに行く途中に観ました。明らかにまた古い建物があるなぁと思いながら通り過ぎました。

サン・ピエトロ大聖堂とバチカン美術館

ローマに着いた日に1泊、翌日にもう1泊で2泊しました。その間にローマ市内を観光しました。そして最後の日の朝、朝一番にサン・ピエトロ大聖堂に行って、サン・ピエトロ大聖堂の隣にあるバチカン美術館を観た後に、大急ぎで空港に向かって帰路につきました。

ローマ市内にあるバチカン市国の航空写真。
みどり
バチカン市国は面積わずか0.44km²、人口およそ800人の世界最小の独立国です。サン・ピエトロ大聖堂、教皇宮殿、行政庁宮殿、バチカン美術館、バチカン庭園の他、いくつもの小さい建物が含まれています。

サン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロ大聖堂カトリック教会の総本山で、キリスト教の教会建築の中で世界最大の大きさです。324年コンスタンティヌス帝によって聖ペテロの墓の上に建てられました。建設から1000年以上を経てコンスタンティヌス帝の聖堂は構造上の衰えが見え始めたため、16世紀から17世紀にかけてコンスタンティヌス帝の古い聖堂は壊され、現在の姿の新しい大聖堂が建設されました。

初めにラファエッロ(1483‐1520)とサンガッロ(1443‐1516)が新しい大聖堂を設計しましたが、設計案は実行されることなく、最終的にミケランジェロ(1475‐1564)の設計案が採用されてクーポラが建設されました。その後、カルロ・マデルノ(1556‐1629)の設計によってクーポラの前に長さ218mに及ぶ巨大な径間が造られ、横幅約115mに達するファサードが完成しました。さらにその後、ベルニーニ(1598‐1680)の設計により大ファサードの前に円形の大きな広場が建設され、現在のサン・ピエトロ大聖堂の形になりました。

正面(ファサード)の奥にミケランジェロが設計したドームの部分のクーポラが見えています。クーポラの屋上にはエレベーターと階段で上がることが出来ます。
サン・ピエトロ大聖堂のファサードから広場を見たところです。ベルニーニの言葉によると、優しく抱擁するように円形の大きな広場を囲む壮大な2本の列柱廊が伸びています
ミケランジェロが1499年に制作した傑作「ピエタ」。十字架から降ろされたキリストが聖母マリアの膝の上に横たわっている様子です。ミケランジェロは若い頃に解剖学の研究をしていました。その研究が作品に活かされており、キリストの腕に浮かぶ血管や筋肉や骨、腱がとてもリアルです。聖母マリアの深い悲しみが静かに伝わってきました。
サン・ピエトロ大聖堂の内部です。ものすごく広くて、大理石が使われたゴージャスな空間でした。
サン・ピエトロ大聖堂の内部のドーム部分です。

バチカン美術館

サン・ピエトロ大聖堂の隣に歴代ローマ教皇の収集品が収められているバチカン美術館があります。バチカン美術館は世界最大級の美術館で、古代ギリシア美術から始まり、様々な時代の一品が収蔵されています。バチカン美術館の中にあるラファエッロの間と、最も奥にあるシスティーナ礼拝堂が最大の見どころです。

バチカン美術館の入り口は小さくて分かりにくいです。サン・ピエトロ大聖堂の正面向かって右側(北)にあります。
ラファエッロは25歳から37歳で亡くなるまでの間、壁にフレスコ画を描き続けました。
壁一面のフレスコ画。遠近感が凄い。
有名な「アテネの学堂」

システィーナ礼拝堂

システィーナ礼拝堂にはミケランジェロが創世記のエピソードを描いた『天井画』と、祭壇側の壁に描かれた『最後の審判』の巨大なフレスコ画があります。

システィーナ礼拝堂。写真撮影はNGのため、バティカン美術館出版局編『ヴァティカン』より引用しました。
ミケランジェロが1508年から1512年にかけて描いた天井画。40m×14mの巨大な傑作。「光と闇の分離」、「太陽、月、植物の創造」「大地と水の分離」「アダムの創造」「エヴァの創造」「原罪と楽園追放」「ノアの幡祭」「大洪水」「ノアの泥酔」が描かれています。
『アダムの創造』。右に描かれた神が左に描かれた最初の人類であるアダムに生命を吹き込んでいるシーン。
みどり
『アダムの創造』は本当に凄いと思いました。神の周りに描かれた赤いマントと中にいる天使が脳そっくりです。ミケランジェロは解剖学も勉強していたので、脳の構造も熟知していたのでしょうね。力なく腕を伸ばすアダムに知性を与えて人間たらしめようとしている神を描いているのだと思います。ミケランジェロは圧倒的に天才だと思います。
力ないアダムの指先に力を与えようとしている神の絵。天才的。
みどり
人は指差しが出来る頃に物に名前があることを認識します。まさに指先に知性を与えようとしている構図が天才的だとしか思えません。
壁面画『最後の審判』、14m×12mの巨大なフレスコ画。天井画の制作から20年後、教皇クレメンス7世から『最後の審判』を描くように依頼され、1536年から制作を始め、1541年に完成させました。
中央に描かれた審判者キリストが永遠の審判を下しています。許された者たちは天使や殉教者によって天国へ昇り、罪人たちは地獄に向かう様子が描かれています。
みどり
ミケランジェロは絵具まみれになりながら天井にフレスコ画を描きました。「私は画家ではなくて彫刻家なのに…」と嘆いた手紙を父に送ったそうです。天才ならではの苦悩ですね。

まとめ

ローマとバチカンの旅は本当に見どころが多かったです。2泊3日の旅でなんとかバチカン美術館までゆっくり観られたのは、宿泊場所をサン・ピエトロ大聖堂のすぐ近くにしたことが功を成したと思いました。

システィーナ礼拝堂は40m×14mの巨大な空間で、美術の教科書にも載っていた「アダムの創造」や「最後の審判」の絵を実際に観て、圧倒されました。「アダムの創造」や「ピエタ」にはミケランジェロが学んだ「解剖学」の知識も反映されていて、ミケランジェロの博学で多才で天才ぶりに感嘆しました。彫刻に絵画、設計まで出来るって超人。

ローマは一日にして成らずどころか、2泊3日では成らずでした。

読んでくださり有難うございました。

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