今回は、フランスのパリに1泊2日子連れ旅行をした時のことを綴らせていただきます。
タリスに乗ってパリへ
我が家はアムステルダムからパリ北駅までタリス (Thalys) 高速鉄道で行きました。アムステルダムからパリ北駅までは約3時間20分で行くことが出来ます。
パリってどんな町?
パリはフランスの首都で、フランスの政治、経済、文化の中心地です。ロンドン、ニューヨークに次ぐ世界第3位の都市とされています。パリの都市圏の人口は1,200人を超えており、EU最大の都市です。
フランスの歴史概要
フランク王国
395年、ゲルマン人の大移動によってローマ帝国が東西に分離し、その後西ローマ帝国と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)になりました。西ローマ帝国はさらに分裂し、481年、フランク族のクローヴィス(在位481‐511)によってフランク王国メロヴィング朝が出来て、パリはその首都になりました。しかし、カロリング朝のカール大帝(在位768‐814)の治世以降はフランク王国の中心はライン川流域に移りました。
西フランク王国→フランス王国カペー朝
843年にヴェルダン条約によってフランク王国は3分割されて、西フランク王国カロリング朝が出来ました。カロリング朝が断絶すると、987年にパリ伯ユーグ=カペー(在位987‐996)がフランス王に推挙されて、パリはフランス王国の首都となり、パリを流れるセーヌ川の中州であるシテ島にシテ宮殿が建設されました。フィリップ2世(在位1180‐1223)の治世の頃には、パリを囲む城壁と、その西側に要塞(のちのルーブル宮殿)が建設されました。1180年には神学で有名なパリ大学が公認されました。13世紀、ルイ9世(在位1226‐1270)によってサント・シャペルが建築され、1163年から建設が始まっていたノートルダム大聖堂は1345年に竣工しました。
カペー朝→ヴァロワ朝、百年戦争とジャンヌダルク
1328年にカペー朝が断絶したことにより、フランスのヴァロワ朝とイングランドのプランタジネット朝がフランス王位の継承権と領有権をめぐって対立し、1339年から1453年まで百年戦争が起こりました。ヴァロワ朝第3代目の王のシャルル5世(在位1364‐1380)は、1370年にサン=タントワーヌ要塞(バスティーユ牢獄)を築きました。また、ルーブル宮殿を王宮としました。
ヴァロワ朝→ブルボン朝の絶対王政
1589年、ヴァロワ=オルレアン朝からブルボン朝になり、アンリ4世(在位1589‐1610)がブルボン朝初代国王となって、パリは首都となりました。アンリ4世はルーブル宮殿を拡張し、パリの都市整備をしました。しかし、ブルボン朝第3代国王のルイ14世(在位1643‐1715)は、絶対王政を確立し、1677年に居住をヴェルサイユ宮殿に移しました。それ以降、ルイ16世(在位1774‐1792)の治世まで政治の中心地はヴェルサイユになりました。
フランス革命勃発、共和政になる
1789年、パリ市民がバスティーユ牢獄を襲撃したことによってフランス革命が勃発しました。国民議会は封建的特権廃止を宣言し、「フランス人権宣言」を制定し、新たに成立した国民公会が共和政を宣言しました。そして、パリ市民がヴェルサイユ宮殿まで行進して国王ルイ16世をパリに連行し、ルイ16世と王妃マリー=アントワネット(1755‐1793)は処刑されて、絶対王政は終焉しました。
英雄ナポレオンの台頭
フランス革命後、市民革命を恐れたイギリスやスペイン、オーストリア、プロイセンが対仏大同盟を結成しました。それによってフランス国内は対外国に対して危機感が高まりました。また、ルイ16世処刑後、ロベスピエールによって恐怖政治が行われ、政局が不安定になりました。1794年にロベスピエールが処刑されて、1795年に総裁政府が設立されました。
その不安定な政局の中、1796年に軍人だったナポレオン(在位1804‐1814、1815)はイタリア遠征をしてオーストリアを破り、1798年にはマルタ島を経由してエジプト遠征をしてオスマン帝国を破りました。その功績により国民の支持を得て、1799年にナポレオンは政権を掌握しました。1802年にナポレオンは終身統領となり、1804年にフランス民法典(ナポレオン法典)を成立させました。そして同年、パリのノートルダム大聖堂にローマ教皇ピウス7世を招いて戴冠式が行われ、皇帝ナポレオン1世となりました。
ナポレオンは1805年にはアウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア連合軍に勝利し、その記念にエトワール凱旋門の建設を命じ、エトワール凱旋門は1836年に完成しました。
我が家のパリ観光
クロワッサンが美味しかったパリのホテル
我が家は観光がしやすいようにシテ島のすぐ近くの小さなホテルに泊まりました。パリのホテルではよくあることらしいのですが、泊まったホテルのシャワールームのお湯が出なくて、ぬるま湯?お水?を浴びて済ませました。ホテルは割と古そうで、設備は残念な感じでしたが、朝ご飯に出してくださったクロワッサンがとっても美味しかったです。お店のオーナーは「朝からパリで一番美味しいクロワッサンを買いに行ったのよ!」と言っていました。パリのクロワッサンって本当に美味しいです。
話は変わりますが、ベルギーで一泊した時にも、朝から美味しいクロワッサンを頂きました。その時のオーナーの方も「このクロワッサンはパリのクロワッサンのようでしょ。」と言っていました。やっぱり、「パリのクロワッサンは美味しい♡」という認識は世界共通なのですね。
パリの主な観光地
高速鉄道タリスでパリ北駅に着いて、そこからタクシーでシテ島の近くのホテルに行って荷物を置いて、観光に出かけました。
シテ島のノートルダム大聖堂→サント・シャペル→ルーブル美術館→(オルセー美術館)→コンコルド広場→シャンゼリゼ大通り→凱旋門→エッフェル塔の順で、主な観光地を巡りました。
その翌日、朝からリュクサンブール公園で子どもを遊ばせて、その後オシャレなサンジェルマン デ プレ地区を歩いて、そして地下鉄でAnvers駅まで移動して、モンマルトルの丘にあるサクレ・クール寺院に行きました。
サクレ・クール寺院からパリ北駅までは約1.4km(徒歩約18分)なので、歩いてパリ北駅に戻り、帰路に着きました。
パリ2日目の道のり
ノートルダム大聖堂
ノートルダム大聖堂は、フランス王国カペー朝の頃の1163年に着工され、1330年に完成しました。奥行き128m、幅40m、高さ30mもあり、ゴシック様式のステンドグラスが美しい大聖堂です。387段の階段で塔の展望台に上がることが出来ます。
サント・シャペル
サント・シャペルはルイ9世が建立したゴシック様式の礼拝堂です。ビザンツ帝国の皇帝から買ったキリストの聖遺物である茨の冠や十字架の木片などを納めるために造られ、1248年に完成しました。
ルーブル美術館
ルーブル美術館は世界最大級の美術館で、先史時代から19世紀までの約3万5000点の美術品が展示されています。フランス王国カペー朝のフィリップ2世が12世紀に要塞として建設した建物がルーブル宮殿になり、その後17世紀にルイ14世がヴェルサイユ宮殿に居住を移してからは、王室が収集してきた美術品コレクションがルーブル宮殿に収蔵・展示されるようになり、1793年に正式に美術館として会館しました。
オルセー美術館
オルセー美術館は旧オルセー駅舎を利用した美術館です。印象派のモネやルノワール、ゴッホ、セザンヌ、ドガなどの名画が展示されています。
コンコルド広場
コンコルド広場はチュイルリー庭園とシャンゼリゼ大通りの間に位置しています。この広場にはかつてルイ15世の騎馬像が設置されていましたがフランス革命の時に取り払われ、「革命広場」と呼ばれていました。ルイ16世とマリー・アントワネットはこの地で処刑されました。ナポレオンの時代に「コンコルド広場」と呼ばれるようになりました。
シャンゼリゼ大通り
シャンゼリゼ大通りはコンコルド広場から凱旋門へ続く、1880mの大通りです。
凱旋門
1805年、アウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア連合軍に勝利しました。それを記念してナポレオンが着工を命じました。
エッフェル塔
エッフェル塔はギュスター・エッフェルが1889年開催のパリ万博のシンボルとして設計し、1889年に完成しました。その当時は高さ300mでしたが、1957年にテレビアンテナが設置されて高さが18.7mに伸び、2000年にさらに高くなって、現在の高さは324mです。
リュクサンブール公園
1612年にリュクサンブール宮殿に付随する庭園が造られ、それが現在は公園になっています。とても広い公園で、パリ市民の憩いの場になっています。
サンジェルマン・デ・プレ地区のカフェ巡り
リュクサンブール公園から北に歩いてサンジェルマン・デ・プレ地区を散策しました。サンジェルマン・デ・プレ地区はオシャレなカフェ、老舗のカフェなど素敵なカフェが沢山あります。
サクレ・クール寺院
1870年、フランス王国とプロイセン王国の戦争が起きて、フランスはプロイセンに負けました。プロイセンはそれを機にドイツを統一し、フランス第二帝政は崩壊しました。サクレ・クール寺院はその戦争による戦死者などを追悼するために1876年から建設され、1919年に完成しました。モンマルトルの丘の上に建っていて、パリの景色を眺望できます。
まとめ
サクレ・クール寺院からパリ北駅まで約1.4㎞の道を歩いている時、後ろを歩いていた3人組の男の人達がやたら距離を縮めて着いて来ている気配を感じたので、私は気を引き締めて速足で歩いた覚えがあります。ドキドキしました。パリ北駅近辺は治安が悪いらしいです。
夫が学生の頃、男二人でパリに来た時には、夫のお友達がモンマルトルでカツアゲに遭ったそうです。
パリは大都会だから、絶対に気を付けて行動しなければなりません。我が家はなんとか被害なく無事に過ごすことが出来ました。警戒しながら旅行出来たと思います。
日本に帰国した時、自分がすごく気を張って生活していたことに気が付きました。荷物を横に置いたりすることが考えられないくらいに、常に子どもと荷物に目を配って気を張って生活していました。だから、日本の平和な日常をとても有難く思います。
ルーブル美術館とオルセー美術館、ピカソ美術館などのアート巡りをするには、1泊2日の旅行では時間が足りません。しかし、1泊2日の旅行でしたが、パリの主要な観光地を巡ることが出来て、美味しいクロワッサンも食べられたことに満足しました。
読んでくださり有難うございました。