イスラエル博物館所蔵印象派・光の系譜展に行って、レッサー・ユリィの絵画に惹かれました

現在(2021年11月)、三菱一号館美術館で『イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜-モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン』展が開かれています。昨日、私は展示を観に行きました。そこで、今まで知らなかった『レッサーユリィ』という画家の作品に出合いました。今回は展覧会の感想について綴らせていただきます。

みどり
今回のイスラエル展と同時期に、東京都美術館でゴッホ展も開催されています。ゴッホ展2021の感想についての記事も掲載させていただいております。宜しければご覧ください。

今回の展覧会について

今回の展覧会では、イスラエルのエルサレムにあるイスラエル博物館が所蔵しているモネやルノワール、シスレー、ピサロ、セザンヌやゴッホ、ゴーギャンなどの印象派の画家の作品69作品が展示されています。

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イスラエルのエルサレムはユダヤ教とキリスト教とイスラム教の聖地。オランダで超正統派のユダヤ人の方を初めて見かけた時には衝撃を受けました。エルサレムには「嘆きの壁」や「聖墳墓教会」、「岩のドーム」などの歴史的、宗教的に重要な遺産があるので、いつか行ってみたいと思うのですが、簡単に訪れられる国ではないので、残念ながら多分一生行けないだろうなと思います。そのエルサレムにあるイスラエル博物館には約50万点の文化財が所蔵されているそうです。その中には私の好きなゴッホの作品もあって、今回『プロヴァンスの収穫期』など初来日している作品が多数あるそうなので、展覧会が開催されている三菱一号館美術館に楽しみに足を運びました。
東京丸の内にある三菱一号館美術館。モダンなオフィスビルの中に明治時代に設計された赤レンガの建物が佇んでいて、とても素敵な場所です。
三菱一号館美術館の入り口です。三菱一号館美術館はそんなに広くはないのですが、館内を巡って絵画を鑑賞することが出来ます。途中、外のお庭を眺めて休憩したり出来て、とても素敵な場所です。
今回、日本初来日したゴッホの『プロヴァンスの収穫期(1888年)』。その他、日本初来日のモネの『水連』など、イスラエルから初来日した作品が沢山ありました。日本とイスラエルの外交関係樹立70周年を記念した展覧会だそうです。

イスラエル展の感想

お目当ての作品を鑑賞

ここからは私の感想です。展覧会に入場し、絵画を鑑賞し始めました。今回の展示は印象派の作品を「水の風景と反映」「自然と人のいる風景」「都市の情景」「人物と静物」の4つのチャプタ―に分けて構成されていました。

クロード・モネ『水連』1907年、イスラエル博物館。フランスの画家クロード・モネ(1840‐1926)は1893年に敷地を購入し、そこにリュ川から水を引いて、日本風の太鼓橋のある水連の咲く池を作り、「水の庭」と呼ばれる庭を造りました。1895年から水の庭の絵を描き始め、1926年に亡くなるまで約30年にわたり約250枚の水連の連作を描きました。
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1854年に日本が開国し、1867年にパリ万国博覧会が開かれ、1870年から1880年代にパリを中心に日本ブームが起こりました。ゴッホだけでなくモネも浮世絵を収集し、影響を受けていたのですね。
カミーユ・ピサロ『朝、陽光の効果、エラニー』1899年、イスラエル博物館。カミーユ・ピサロ(1830‐1903)はフランスの印象派の画家で、モネやシスレー、ルノワールと共に戸外制作をしていました。
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18世紀中頃までは画家が自分で鉱石などを粉砕して絵の具を作っていました。自作の絵の具は持ち運びにくかったので屋外で絵を描くことは難しかったのですが、1841年にチューブ入りの絵の具が登場し、外でも絵の具で色を付けることが出来るようになりました。モネやルノワールなどの印象派の画家たちは屋外での制作をするようになりました。また、それまではパレットに絵の具を置いて混ぜて色を作り出していましたが、印象派の画家たちは絵の具は色を混ぜると発色が悪くなるため、チューブから絵の具をキャンバスに直接置いて色鮮やかに表現するようになりました。
ゴッホ『麦畑とポピー』1888年、イスラエル博物館。これまで観たことがなかったゴッホの作品をまた新たに観ることが出来ました。

レッサー・ユリィとの出会い

ゴッホやモネやピサロ、ゴーギャンなどの作品を観て楽しんで鑑賞していました。

すると、ある絵の前で心を突然奪われました。「ウワァ!素敵な絵がある!」と心が躍動しました。その絵はレッサー・ユリィという画家が描いた『夜のポツダム広場』という絵でした。『夜のポツダム広場』は79.6×100㎝の結構大きな作品です。

「え、レッサー・ユリィって誰?ユリィ?知らない名前。でもなんて素敵な絵なんだろう。この絵大好き。本当に素敵。雨に濡れた石畳が光を浴びて、そして雨粒の波紋が揺れている!なんとなく、人の影も揺れて見える!人の動きが感じられる!すごい!そして、色がすごく鮮やかで綺麗!青と黄色の補色の色彩に、奥の赤い看板の文字が浮かんでいて、そのアクセントが素敵。赤い看板の文字が街の風景にリアル感を出している!そして、絵の構図が素敵。横長の絵の左側に広がりがあって、すごく奥行きがある。今にも動き出しそうな人の影。寒い真冬に外から眺める屋内の温かさや穏やかさのような印象を受ける。この絵はなんだか、人が暮らす温かみを感じる。雨の景色の中に光が灯っていて、街の灯りに向かって歩いている人たちは光に向かって足を速めていて、人々の光への憧れのようなものを感じる。すごくいい絵だ!今日はこの絵に出会えて本当に良かった!」

と思いました。

レッサー・ユリィ『夜のポツダム広場』1920年代半ば、イスラエル博物館。
レッサー・ユリィ『赤い絨毯』1889年、イスラエル博物館。この絵もとても素敵な色彩で気に入りました。今回の展示で「この絵好きだな!」と感じた絵がいつもレッサー・ユリィの絵でした。
『夜のポツダム広場』がとっても気に入ったので、ハガキとマグネットをお土産に買って帰りました。いつも手元に置いて飾って見たいと思うほど、この絵がとても好きになりました。

帰宅後、さっそくレッサー・ユリィについて調べてみました。

「今回はレッサー・ユリィと出会えて本当に良かった!好きな絵がまた増えて嬉しい」と思って自宅に帰り、レッサー・ユリィについて調べてみました。

すると、私と同じようにゴッホやモネ、ゴーギャンの絵を観に行ったのに、レッサー・ユリィに心奪われている人が沢山いることが分かりました。Yahoo!ニュースにも掲載されていて、今回の展覧会で、モネやルノワールの絵を差し置いて、無名のレッサー・ユリィの『夜のポツダム広場』のポストカードが売れて、即日完売してしまったそうです。

みどり
「2021年最大の事件-彗星のごとく現れたレッサー・ユリィ」というタイトルでYahoo!ニュースに掲載されていました。多くの人と同じように、私にとっても衝撃的な出会いになりました。
レッサー・ユリィ(1861‐1931)はドイツ北部からポーランドにかけて領地としていたプロイセン王国(1701‐1918)のバーンバウムに生まれた画家です。1872年に首都ベルリンに移住し、1879年にデュッセルドルフの美術アカデミーで絵画を学びました。1887年にベルリンに戻り、それ以降はブリュッセルやパリ、ミュンヘンなどで過ごしました。1915年と1922年にベルリンで展示会を開催しました。1922年の展示会は特に大規模な展示会で、多くの評論家の評判を受け、彼の絵画は多くの需要がありました。レッサー・ユリィは都市の風景などを印象派の技巧で描きました。内向的で人に対して懐疑的だったレッサー・ユリィは晩年益々人を避けるようになり、最期はベルリンで亡くなり、ベルリンのユダヤ人墓地に埋葬されました。
みどり
ブリュッセルでも過ごしていたのですね。私は『夜のポツダム広場』の雨に濡れて光る石畳の様子からブリュッセルで見た夜のグランプラスの姿を思い出しまいた。グランプラスも石畳に黄色い光が反射して輝いていました。
夜のグランプラス。黒い石畳が黄金に輝いていたのが綺麗でした。
みどり
レッサー・ユリィについてはこのくらいしかWikipediaに情報が無かったです。でも、YouTubeにレッサー・ユリィの絵画の動画がありました。動画を観て、心惹かれる色彩の絵が沢山ありました。レッサー・ユリィの他の絵ももっと見てみたいです。

まとめ

今回はイスラエル博物館展を観に行って本当に良かったです。イスラエルに旅行するのは難しいので、イスラエルにあるゴッホやモネの絵を観られる機会はとても貴重だと思います。

ゴッホの麦畑の絵もモネの水連も素晴らしい絵でした。本物を鑑賞できて本当に良かったです。

そして、今回は私は大好きなゴッホの絵やモネの絵よりも心が躍動する絵に出会うことが出来ました。レッサー・ユリィの『夜のポツダム広場』には心が躍り、感動しました。新しく好きな画家が出来て、人生の豊かさがまた広がりました。もっとレッサー・ユリィの絵を観てみたいし、レッサー・ユリィのことを知りたいという楽しみが出来ました。

美術鑑賞はとても楽しいです。日々の生活の合間に好きな絵を眺めると、心がふと軽くなります。

以前、「モンドリアン展」に行った際も一点、心が躍動する忘れられない絵に出合いました。今回は『夜のポツダム広場』が観た時の感動が忘れられない絵になりました。思い出すと自分の瞳が輝いている気がします。

これからも、好きな一点を見つけに美術館を訪れたいと思います。

読んでくださり有難うございました。

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