2023年11月22日、オランダ総選挙(下院、定数150)で反移民の立場を取るポピュリスト政治家ウィルダース氏が率いる極右、自由党(PVV)が勝利したというニュースが入ってきました。
BBCニュース – 【解説】 オランダ総選挙で極右政党が勝利 欧州が揺れるhttps://t.co/zjmKcKSfhs
— BBC News Japan (@bbcnewsjapan) November 24, 2023
ウィルダース党首は、イスラム教徒の移民とテロリズムを結び付ける公言を重ね、国内でモスクやイスラム教の聖典コーランを禁止するとも発言してきました。また、反欧州連合(EU)を掲げ、ウクライナ支援にも否定的な姿勢を示しています。
以前、私は『オランダの介護保険制度の大改革について【福祉国家から参加型社会へ】』の記事で
「オランダは移民が多く、1950年代から1970年代にかけての高度経済期には移民が労働力不足を補ってきました。しかし、近年は「モノ」(工業社会)から「非モノ」(脱工業社会)に変化し、単純労働から知的生産労働へ労働市場が変化しました。そのため、ここ10年程の間に移民・難民政策を転換し、「寛容」から「排除」「移民統合」へと舵を切ってきています。近年は移民や難民に対して入国審査が厳格化しています。
と記載させていただいていたのですが、今回の選挙で「移民反対」の姿勢がはっきりしたことが分かりました。
今回はそれについての雑記です。
私が住んでいた2015年、EUは移民・難民大量受け入れ
私は2013年12月から2016年3月までオランダに住んでいました。その間、私はいつも「オランダ人にどう思われているのかな」と気にしつつ同化しようとしながら暮らしていました。
オランダ人は『一切の忖度なし!オランダ人の率直なコミュニケーションから学んだこと』で記載させていただいた通り、自分の考えをはっきりと相手に伝える国民性があります。
私が住んでいた時はイスラム国のニュースが毎日流れていた頃
夫は私より先にオランダに渡り、2013年4月からオランダで生活していました。その頃からイスラム国はシリアでの活動を活発化させていました。
イスラム国は2015年にイラクやシリアなどの支配地で最盛期を迎えていましたが、アメリカ主導の有志連合やロシアなどがイスラム国に対する軍事作戦を本格化したことにより、2016年以降は衰退しました。
そのシリア内戦により2015年には「ヨーロッパ難民危機」が起こり、100万人を超える難民が地中海を渡ってヨーロッパに辿りつきました。当時、ドイツのメルケル首相は大量の難民の受け入れを表明しました。
ヨーロッパの移民・難民増加は治安の悪化をもたらし、2015年11月にはパリで大規模なテロが起こり、2016年にはドイツでも相次いでテロ事件が発生しました。
「沢山買い物する私はいい移民、難民はくそ」と身綺麗なマダムに言われた
私が住んでいたエリアはアムステルダムのZuid地区で治安が良いとされていた地域です。
この記事のトップ画面の写真が家の周りの住環境でした。家の前には美しい運河があり、様々な水鳥が生息していて、近所にはGelderlandpleinという大型で便利なショッピングセンターがありました。
いつもすれ違うオランダ人は黒いコートにバーバリーのストールをお洒落に巻いているような、ベージュの帽子とコートをコーディネイトしてクイーンのような恰好をしていたりする、金髪碧眼の素敵な方々ばかりでした。
毎日会釈するオランダ人のマダムと移民の話になった時、「私も移民なんだな…」という気持ちでマダムに話をしたら、スーパーで買った沢山の食材を乗せたベビーカーを見ながら「あなたは(沢山お金を落としてくれる)美しい移民よ!海からやってくる移民はくそよ(唾を吐くようなとてもお下品な表情で)」と言いました。
この時、「オランダ人って本当にストレートに言うなぁ」と思いました。
合理主義のオランダ人の寛容の精神は公共の利益に反しない限り個人の自由を認めるという条件付きなのだと感じました。それが商売上手のオランダ人で、1600年代からそうやって世界を相手に貿易して繁栄してきた国なのです。
パリのテロの時はそれまで以上にはっきりと人種差別を受けました
2015年11月のパリのテロの時期はヨーロッパは特に冷たい空気が流れていました。
ある時子どもをスケートリンクで遊ばせていたら、高校生くらいの金髪の女の子がぶつかってきて、「ばい菌が触れた」みたいな表情と態度で貶してきました。
普段だと目を細めて「ニーハオ」と言われるくらいのアジア人差別を受ける程度でしたが、その時ははっきりと排斥されているような気持ちになりました。
2013年から2年暮らしてきて、オランダ人はフレンドリーで優しいと感じることの方が多かったですが、2015年は明らかに空気が重くヨーロッパの情勢が不安定になっているのをひしひしと感じて、2016年に帰国してほっとしました。
帰国した時、日本人はびっくりするほど親切で治安が良いのだと思いました。
私はヨーロッパの価値観が分からなくてしばらくカルチャーショックの影響を受け、それが動機で自分が訪れた国の歴史や宗教を調べなおし、このブログの旅行記事になっています。
まとめ
オランダに住んでいた頃、いつも買い物をしていたアルバートハイン(スーパー)のイスラム教徒の店員さんがお洒落なスカーフを頭に巻いて楽しそうに仕事をしていたのを思い出します。
近所にはイスラム教やユダヤ教のモスクやシナゴーグ、そして学校があり、それぞれの宗教の人々の暮らしが平和に共存していました。そして、十字架もないプロテスタントの教会が建っていました。
今回の総選挙の結果、極右政党が第1党になったので反イスラムで混乱が生じるのだろうなと思います。また、オランダもイギリスのEU離脱のように国民投票が行われるかもしれません。
オランダに住んでいた頃にはギリシャのデフォルト危機も起こりました。当時ギリシャは2年債利回りが30%を超えていて相当厳しい金融の状況でした。そのギリシャやスペインと経済的に豊かなドイツやオランダが同一通貨で輸出入して、ギリシャやスペインの貿易収支が赤字にならないはずはないと不思議に思っていました。ユーロの為替レートは他のEU諸国との通貨水準の平均辺りだとすると、ドイツやオランダ経済にとっては非常に低い水準にあるので輸出力が向上して貿易黒字が発生しますが、ギリシャやスペインなどの国の経済にとっては為替レートが高すぎるために貿易赤字になってしまいます。その状況で国債を発行して利回り30%ではデフォルトしないはずもなく、ギリシャのような観光業くらいしか目立った産業がない国で公共投資も出来ず公務員も削減しなければならなければ、国民が仕事を失うしかなくなってしまいます。
紛争で祖国を追われた難民を宗教上の理由で追放するということは非人道的であるはずです。私が知っている2015年までの寛容の国の姿だとは思えません。しかし、増えすぎた移民がオランダ人の生活秩序や文化を破壊しているのであれば、オランダ人が「NEE(No)!」の声を上げて当然です。EUの決定や通貨統合のシステムが機能不全を起こし、歪みや混乱を生じさせているのであれば早く是正する必要性があるのだと思います。
過去の歴史を振り返ると十字軍やレコンキスタから第二次世界大戦まで宗教を理由に迫害されて亡くなった無数の命がありました。オランダには有名なアンネ・フランクも生きていました。極右政党の排他的な政策によって命の尊厳が失われないことを祈るばかりです。
2016年に日本に帰国して、それからも新型コロナやウクライナ危機など世界を巻き込む様々なニュースが流れてくることに改めて驚きます。
読んでくださり有難うございました。