オランダと言えば風車とチューリップ!今回はオランダのチューリップの歴史とキューケンホフ公園とチューリップ畑、そして世界最大級の生花市場であるアールスメール花市場についてご紹介させていただきます。
オランダのチューリップの歴史
チューリップの原産地はトルコです。16世紀、神聖ローマ皇帝のフェルディナント1世(神聖ローマ皇帝在位1556‐1564)によってオスマン帝国に派遣されたオージェ・ギスラン・ド・ブスベックがオスマン帝国からウィーンにチューリップの球根を初めて送ったことによってチューリップがヨーロッパに伝わり、当時珍しい花の形をしていたチューリップは貴族や富裕層にもてはやされ、アムステルダムやアントワープにも広まりました。
1568年にオランダ独立戦争が始まり、1581年にネーデルラント連邦共和国としてオランダは神聖ローマ帝国から独立しました。フランドル地方の植物学者カルロス・クスシウスがライデン大学植物園を設立した1593年頃から、オランダでのチューリップ栽培が本格的に行われるようになりました。
17世紀に入りオランダ黄金時代を迎えると、他の植物とは異なる鮮明な色と形を持つチューリップはステータスシンボルになり、チューリップの需要が増えていくうちに人々がチューリップ投機に熱狂するようになりました。特に、ウィルスに感染したことによって生じた縞模様のチューリップは希少性が高いため、最も高価なチューリップとされたSemper Augustus(センペル・アウグストゥス)という球根1個の値段は当時のオランダ人の平均年収の10倍以上にまで跳ね上がりました。
一般の人もチューリップ投機するようになり、チューリップの球根の先物取引も行われるようになりました。1634年から1637年1月にチューリップバブルはピークを迎えました。
しかし、1637年2月、突如チューリップの価格が急落し、チューリップバブルは崩壊しました。
キューケンホフでチューリップを愛でる
ここからは、チューリップ生産量世界一のオランダが誇るチューリップの聖地「キューケンホフ公園」とキューケンホフのチューリップ畑についてご紹介させていただきます。
キューケンホフ公園
キューケンホフ公園は、オランダのリッセにある世界最大の花の公園です。秋にチューリップやスイセン、ムスカリなどの700万株が植え付けられ、毎年3月中旬から5月中旬の開花の期間のみ公開されます。キューケンホフ公園へはスキポール空港やライデン中央駅から直通バスが毎日運航しています。
チューリップ畑
キューケンホフ公園周辺の北海沿岸は大球根栽培地帯で、チューリップ畑が点在しています。広大なチューリップ畑の景色はテンションが上がってお勧めです。
アールスメール花市場
スキポール空港に近いアールスメールには世界最大級の生花市場であるアールスメール花市場があります。オランダは農産品輸出額がアメリカに次いで2位です。そのオランダの農産品輸出品目の中で輸出額が最も多いのが花きです。オランダは世界の花市場の6割強を占めていて、その約4割をアールスメール花市場が占めているため、世界の花の価格はアールスメール花市場で決まると言われています。
アールスメール花市場は土・日曜、祝日以外の朝7時から11時まで(木曜日は朝9時まで)入場して見学することが出来ます。
まとめ
オランダ黄金時代に貴族や富裕層だけではなく一般庶民の人々もチューリップ投機に熱狂したことによって起こったチューリップバブルのことについて調べて、とても興味深いと思いました。人々はたった1個の球根に家が買えるほどの価値があると思って投機したわけではなく、投機することでさらにお金が増えると信じて投機に興じたのだと思いました。実体経済に見合っていない投機で生じたバブルは崩壊していくし、18世紀のイギリスの産業革命のように資本を蓄積してきちんと投資に回していくと長期的な経済成長が見込まれるということを歴史を通じて学ぶことが出来ました。
春のキューケンホフ公園とチューリップ畑では夢のように美しい景色を目にすることが出来ました。広々としたチューリップ畑の黄色い水仙の花は星屑のように輝いていました。
日本でも春になると各地でチューリップの花を沢山見かけることが出来ますが、それらのチューリップの球根がオランダのチューリップ畑で栽培されて、スキポール空港から輸出されたものなのだと思うと、オランダを身近に感じます。
読んでくださり有難うございました。