子連れ旅行、バルセロナのサグラダファミリアについて

今回はスペインのバルセロナに行って、アントニ・ガウディが設計したサグラダ・ファミリアを見に行った旅について綴らせていただきます。

スペインのバルセロナへ

飛行機搭乗への備え

幼児期、そして自閉症や知的障害の子どもを飛行機に乗せるのは、機内で静かに過ごせるのかが心配ですよね。子どももそれぞれの個性があるので難しいのですが、我が家の場合は子どもが小さい頃は以下のように備えて搭乗していまいした。

  • 子どもの生活リズムに合わせられる時間に飛行機に乗れるように予約をする
  • チケットカウンターであらかじめ子どもの年齢や障害についてなど相談してみる
  • 子どもの着替えやおむつなどのセットがすぐに取り出せるように準備しておく
  • 耳抜きが出来るように、飲み物を用意しておく
  • おやつ、おにぎりなどの軽食を持ち込む
  • 子どもが好きな動画を見たり、お絵描きアプリなどで遊べるようにタブレットを持って行く
  • 荷物はバックパックに入れて、親の両手が空くようにする。荷物は最小限になるように服の枚数を整理する。
  • バックパックは機内に持ち込める大きさにする。機内持ち込みが出来ると、飛行機から降りてからスムーズに移動できます。
バルセロナへはスペインの格安航空vuelingを利用して行きました。vuelingの客室乗務員の方々がとても美人で、離陸する前のガイダンスで見とれてくぎ付けになってしまいました。

バルセロナ空港からバルセロナ市内へ

アエロバスは空港とバルセロナ市内へは約12㎞あります。我が家は空港から出ているシャトルバス(Aerobus)に乗って、市内にあるカタルーニャ広場まで行きました。シャトルバスはバルセロナ空港から8〜15分おきに運航していて、約30分でカタルーニャ広場に着きます。

バルセロナ観光

バルセロナ市内に着いたら、マジカ噴水へ

バルセロナ市内に着いたら、ご飯を食べに行く途中にカタルーニャ広場から歩いてマジカ噴水を見に行きました。マジカ噴水の噴水ショーは夏季は木曜から日曜の21時から23時半、冬期(11月から3月頃まで)は金曜日土曜日の19時から21時までやっています。

夕暮れ時のバルセロナ市内を眺めました。バルセロナは都会でした。治安はそこまで悪いと感じませんでした。我が家はいつもジーンズにジャケットというラフな姿でバックパックを背負っていたので、スリなどにあまり狙われませんでした。でもいつも子どもを見ながら、緊張感を持って旅をしていました。
マジカ噴水の噴水ショーです。かなり大きな噴水で、光の演出に子どもも興味津々で眺めていました。とても迫力がありました。
偏食のある我が子ですが、パエリャは食べてくれたので安心しました。子どもって混ぜご飯好きな子多いですよね。我が子は今も混ぜご飯だとおかわりを沢山します。スペインでは日本で食べるよりパエリャが安くて量も多くて良かったです。もちろん、美味しかったです。

サグラダ・ファミリアへ

翌朝、朝ご飯を食べてからアントニ・ガウディが設計したサグラダ・ファミリアを観に行きました。バルセロナ市内はスマホを見ながら歩いて移動しました。(スマホで調べる時にはスリに注意が必要です。)

建築家アントニ・ガウディの生涯

ガウディの生涯を大まかにまとめました。

アントニ・ガウディ生誕(1852年)

ガウディは1852年、スペインのカタルーニャ州のレウスで生まれました。1869年、17歳の時に兄のフランセスクと共にバルセロナに移り住みます。

ガウディ、建築学校に入学(1872年〜1878年)

ガウディは1872年、20歳の頃にバルセロナ建築学校に入学します。1876年、兄のフランセスクと母が病気で亡くなってしまい、ガウディは精神的ショックから逃れるために建築の勉強に打ち込みます。1877年、建築過程の最終プロジェクトとして大学の講堂を設計します。1878年(26歳)、建築学校での過程を終了します。校長の襟エス・ルジョン氏は「我々が卒業資格を与えたのは、狂人なのか、天才なのか。」と述べました。

建築家としての活躍(1878年〜1926年)

実業家グエル氏との出会い

1978年(26歳)、コメリャ手袋専門店のショーケースを制作します。このショーケースを見た実業家のエウセビ・グエル氏は、ガウディの作品に興味を持ちます。エウセビ・グエル氏は実業家で、彼の支援によってガウディは名声を得ることになります。グエル氏は生涯に渡ってガウディのパトロンでありよき理解者でした。1979年(27歳)、ガウディの姉が亡くなり、姪のロザ・エヘアの後見人になります。

主な初期作品(1878年〜1892年)
  • ビセンス邸(場所:バルセロナ)
    1883年(31歳)、ガウディは最初の主要作品であるビセンス邸の設計に着手し、1888年(36歳)に建物が完成しました。
  • エル・カプリッチョ(サンタデール郊外のコミージャス村)
    1883年(31歳)、「エル・カプリッチョ」と呼ばれる別荘の設計に着手し、1885年(33歳)に建物が完成しました。
  • フィンカ・グエルの建物(バルセロナ)
    1885年(33歳)、グエル氏の別邸(フィンカ・グエル)の鍛鉄製の門扉のドラゴンをデザインします。フィンカ・グエルの建物は1887年(35歳)に完成しました。
  • グエル邸(バルセロナ)
    1886年(34歳)、グエルの邸のファサードのデザインを何種類も考えて最終的に一つのデザインにたどり着き、バルセロナ市役所に提出し、グエル邸の建設を始めました。1888年(36歳)に完成しました。
  • サンタ・テレサ寺院(バルセロナ)
    1888年(36歳)、サンタ・テレサ学院の建築工事の依頼を受け、1890年(38歳)に完成しました。
  • ボティネス邸(レオン)
    1891年(39歳)、レオンのボティネス邸の設計図に署名し、1892年に建築が始まり、わずか10か月でボティネス邸は竣工しました。
円熟期(1892年〜1914年)
  • ボデガス・グエル(ガラフ)
    1895年(43歳)、ガラフのボデガス・グエルを計画しました。ガラフ地方の大ブドウ園の所有者でもあったグエル氏は、キューバに輸出していたワインを瓶詰するため、このボデガス(酒蔵)建築を依頼しました。1901年(49歳)に建築が終了しました。
  • カルベット邸(バルセロナ)
    1898年(46歳)、カルベット邸の計画を提出し、1900年(48歳)に完成します。カルベット邸はバルセロナ市の最優秀建築賞を受賞します。
  • コロニア・グエル地下礼拝堂(バルセロナ)
    1898年(46歳)、コロニア・グエル教会建築のための調査を開始します。10年間の研究を経て、1908年にコロニア・グエル教会の建設工事は始まりますが、1914年に工事は中断します。最終的には地下礼拝堂が建てられたのみでしたが、この教会はガウディの傑作と言え、その後サグラダ・ファミリアで採用されることになる建築的手法がここで試されています。
  • フィゲーラス邸「ベリェスグアルド」(バルセロナ)
    1900年(48歳)、フィゲーラス邸「ベリェスグアルドの塔に着手します。「ベリェスグアルド」は「美しい眺め」という意味です。
  • グエル公園(バルセロナ)
    1900年(48歳)、グエル公園に着手します。グエル公園の波打つベンチは1913年(61歳)に完成し、1914年(62歳)に全工事が終了しました。
  • マジョルカの大聖堂(パルマ・デ・マジョルカ)
    1904年(52歳)、マジョルカの大聖堂の改修工事に着手しました。
  • バトリョ邸(バルセロナ)
    1904年(52歳)、バトリョ邸の改築工事に着手し、1907年(55歳)に完成しました。
  • ミラ邸(バルセロナ)
    1906年(54歳)、ミラ邸(ラ・ペドレラ)の建築が始まり、ミラ邸は1912年(60歳)に完成しました。
  • サグラダ・ファミリア(バルセロナ)
    1883年(31歳)、前任のF.デル・ビジャール氏と交代してサグラダ・ファミリアの建築工事の指揮をとることになり、翌年、建築家として最初の書類に署名しました。
    1885年(33歳)、サグラダ・ファミリア最初の全体設計図が完成します。
    1892年(40歳)、サグラダ・ファミリアの生誕のサファードの設計に着手し、1894年(42歳)に基礎工事及び建築が始まります。
    1906年(54歳)、ガウディ直筆のサグラダ・ファミリア寺院完成図が発表されます。父と姪とともに、グエル公園にベレンゲーが建築した家に移り住みますが、同年、父が亡くなります。
    1909年(57歳)、サグラダ・ファミリア寺院の付属学校を自費で建設します。
    1911年(59歳)、マルタ熱に罹り、療養のためプッチェルダーへ移り、ここで受難のサファードの設計を行います。
    1912年(60歳)、姪のロザ・エヘアが亡くなります。
晩年(1914年〜1926年)
  • サグラダ・ファミリア(バルセロナ)
    1914年(62歳)、サグラダ・ファミリアに専念するようになります。
    1916年(64歳)、サグラダ・ファミリア建設のための寄付が不足したため、街頭で施しを乞います。
    1918年(66歳)、エウセビ・グエル氏が亡くなります。
    1923年(71歳)、サグラダ・ファミリアの身廊と屋根の最終案がそれぞれ10分の1と25分の1の石膏模型で示される。生誕のサファードの中央鐘楼が高さ80mに達しました。
    1925年(73歳)、サグラダ・ファミリアの作業場へ移り住みます。
    1926年(73歳)、74歳になる2週間前に路面電車に轢かれて亡くなり、サグラダ・ファミリア寺院の地下礼拝堂に埋葬されました。バルセロナの街角は、葬列に加わる人でいっぱいになりました。

サグラダ・ファミリアの設計の特徴

  • ガウディは自然観察に秀でていました。自然の持つ形態や法則の重要さを意識しつつ、それらを建築に応用しようと考えました
  • 周辺で木々がいかに生息しているかを研究し木を模し、支柱の形態を決定しました。サグラダ・ファミリアの中は木々のつくる森林をイメージしました
  • ガウディは光を重視しました。サグラダ・ファミリアのステンドグラスが、ガウディが望んだとおりに光を通し、まるで森の中の木漏れ日のように採光されています

サグラダ・ファミリア観光

着工から100年以上工事中にサグラダファミリア。2026年完成予定です。

ファサード

  • 誕生のファサード
    表のファサードには、信仰、希望、慈愛という3つの美徳が表されています。
誕生のファサード。キリストの誕生、マリアの婚姻、マリアの戴冠、イエスの披露などの明るいシーンの像が各所にあります。

ファサードの中にある「マリアの戴冠」のシーンです。
  • 受難のファサード
    誕生のファサードの裏側には受難のファサードがあります。受難のファサードでは、荒廃、裸、痛み、生贄など、生誕のファサードとは正反対の意味が表現されています。
受難のファサードには、磔刑のキリストやイエスの裁判などのシーンの像が配置されています。入口の柱が険しくて厳ついデザインだと感じました。

内陣

サグラダ・ファミリアの中は虹のような光が差し込む、とても明るくて広々とした空間です。
天井がかなり高いです。サグラダ・ファミリアが完成すると、最も高い鐘楼は170mにも及ぶと言われています。
中央祭壇の上には天蓋があり、キリストの磔刑像があります。天蓋にはブドウ、葉、麦の穂が垂れさがっています。
光の回廊という感じです。色とりどりの光がステンドグラスから差し込み、光の加減で変化します。とても広々していて、明るくて、幸せな空間でした。
光が虹のように差し込んでいます。とても美しいです。
ステンドグラスからとても柔らかい光が差し込んできます。光の加減で色の様子が穏やかに変化し、とても心地よかったです。
壁にお花の模様が映し出されてとても綺麗でした。

柱の構造

天井。木々の間から光が差し込むようなデザインがされています。白くてとても明るいイメージです。
天井。枝分かれした木々に葉が茂っているようです。樹のような柱が放物線を描いていて、構造的にも合理的です。

シンボリズム

パンとワインを表現しています。
生誕のファサードの入り口の門に、花とてんとう虫が描かれています。てんとう虫はヨーロッパでは幸運をもたらす虫だと考えられています。なんだか牧歌的で可愛いと思いました。
受難のファサードの柱の下にある亀。亀は持続する時を表しているそうです。

まとめ

サグラダ・ファミリアはファサードの外観がとても特徴的で、一度見たら忘れられないデザインでした。
外のゴテゴテとしたデザインと比べて、中はとてもすっきりとしていて明るく温かく、柔らかい、ガウディがイメージしたように森の中を散歩しているような素敵な空間でした。

バルセロナには他にもガウディが設計した建物がいくつかありました。奇想天外なガウディの世界をまたご紹介させていただきたいと思います。

読んでくださり有難うございました。

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