子連れ旅行、ベルギーのアントワープの歴史と旅について

今回はベルギーのアントワープへの子連れ旅行について綴らせていただきます。

アントワープはベルギーの北部にあり、オランダ語が使われているフランデレン地域のアントウェルペン州の州都です。ブリュッセルに次ぐベルギー第2の都市で、市としては約52万人の人口を有する都市です。

アントワープ港は2020年現在、ヨーロッパ内でロッテルダム港に続く第2位の港湾です。また、アントワープの港湾地区には5つの石油精製所があり、石油化学工業の集積地です。近隣には原子力発電所や火力発電所、風力発電所などもあります。

ダイヤモンドの取引もアントワープの主要な産業で、アントワープはダイヤモンドの取引量が世界一です。

アントワープには王立美術学校があり、その卒業生がモード界で成功したことによって、1990年頃からファッションの街としても有名です。

みどり
Kiplingは1987年にアントワープで設立されたナイロン鞄のブランドです。軽くて強くて便利なので、私もずっと愛用しています。

ベルギーのアントワープへ

ベルギーのアントワープへはオランダのアムステルダムから車で行きました。アムステルダムからアントワープまでは車で約2時間(約160㎞)で行くことが出来ます。また、電車で行く場合には、アムステルダムから高速鉄道タリスに乗って約1時間15分、ブリュッセルからアントワープまでは特急電車ICに乗って約40分で行くことが出来ます。

アントワープの歴史

ブリュージュの旅行記事の中でも記載させていただきましたが、15世紀後半にブルージュは運河に土砂が堆積して船の運航が出来なったことで運河港としての機能が失われてしまって衰退し、それに代わってアントワープがネーデルラントの経済の中心になっていきました。

アントワープは大航海時代と重なって16世紀前半から1560年頃まで経済成長し、ヴェネツィアやドゥブロヴニク、スペイン、ポルトガルなど各地からやって来た多くの外国商人が街に居住する大都市となりました。1501年から1521年の初期の頃はポルトガルがインドや東南アジアから入手した香辛料(主に胡椒)、1535年から1557年の中期にはスペインがアメリカから入手したを積んだ船が入港して繁栄し、1559年から1568年の後期には毛織物工業で発展しました。

アントワープは国際的な町となり、宗教にも寛容で、イベリア半島を追われたユダヤ人やプロテスタントの人々のコミュニティも形成されました。フランス出身のクリストフ・プランタン(1520‐1589)は当時のヨーロッパで最大規模の印刷所を築き、オランダ語や英語、フランス語の本や、プロテスタントの文献も多く出版しました。アントワープでは出版業も発展し、書物の輸出拠点にもなりました。

ブリュッセルの旅行記事の中にも記載させていただきましたが、16世紀、ネーデルラントはスペイン=ハプスブルク家によって支配されており、スペイン王フェリペ2世(在位1556~98)の対ネーデルラント政策はカルバン派教徒の弾圧、自治権の抑制、重税を課していました。それに反発してオランダ独立戦争が起き、1579年にネーデルラント北部7州はユトレヒト同盟を結成し、1581年にオラニエ公ウィレムを総督としてネーデルラント連邦共和国を宣言しました。

オランダ語圏のアントワープは1579年のユトレヒト同盟に加わって反スペインを掲げていましたが、アントワープ周辺地域はスペインに占領されており、1585年にスペインに降伏しました。スペインに降伏した後、プロテスタントやユダヤ人の市民はアントワープから立ち去ることを余儀なくされ、アントワープを去った人々の多くがアムステルダムに移住しました。その結果、国際商業の中心はアントワープからアムステルダムに移りました

1800年頃、アントワープは最も衰退した時期でしたが、1830年に立憲君主制のベルギー王国としてベルギーは独立し、1839年には永世中立国となりました。その後は中世以来の毛織物産業やアントワープやヘント、ブルージュで蓄積してきた資本、リエージュで採掘された石炭と鉄鉱石によってヨーロッパ大陸で最初の産業革命が起こり、工業が発展しました。1843年にアントワープとケルン間の鉄道が運行され、1863年にベルギーはオランダからスヘルデ川の航行自由権を買収したことも伴って、アントワープは再び発展しました。

アントワープの観光

私はグローテ・マルクトアントワープ市庁舎ノートルダム大聖堂→世界遺産のプランタン・モレトゥスの家屋・工房・博物館→ショッピングストリートのメール(Meir)通りアントワープ中央駅の順で観光しました。全て徒歩圏にあります。

グローテ・マルクト

グローテ・マルクト (Grote Markt) は、アントワープの旧市街にある広場です。広場の周囲には西側に市庁舎があり、美しいギルドハウスに囲まれています。中央にある噴水は「ブラボーの噴水」と言い、噴水の上には巨大な手首を投げている人の像があります。この像のモデルはローマ軍の隊長『シルヴィウス・ブラボー』という人で、「ブラボーの噴水」は、『スヘルデ川の川岸に住んでいた巨人が城付近を通り過ぎる船に通行料を求めていましたが、それに応じない者には手を切り落としていた。その悪い巨人をシルヴィウス・ブラボーが退治してその手を切り捨てて川に放り投げた』というベルギーの伝説を主題にしています。

アントワープの地名はこの伝説の「handwepen(オランダ語で手を投げる)」が由来であると言われています

奥にはノートルダム大聖堂の塔が見えています。手前にある噴水が「ブラボーの噴水」です。
グローテ・マルクトを美しいギルドハウスが囲んでいます。

アントワープ市庁舎

アントワープ市庁舎は1561年から1564年にかけて建設されたもので、ベルギー最大のルネサンス様式の建物です。ノートルダム大聖堂と共に「ベルギーとフランスの鐘楼群」として世界遺産に登録されています

とっても華麗で美しい市庁舎。色々な国旗が掲げられていて、とても素敵でした。
写真の右側に「ブラボーの噴水」と市庁舎があります。グローテ・マルクトの広場に面して建っています。

ノートルダム大聖堂

ノートルダム大聖堂はグローテ・マルクトの広場から徒歩1分のところにあります。1352年にネーデルラント地方最大のゴシック教会として建設が始まり、1521年に南棟を除き完成しました。1533年に火災に遭い、資金難のため南棟が拡張されることなく、現在の形となりました。

宮廷画家であったルーベンス(1577‐1640)は1616年から亡くなるまでアントワープで過ごし、多数の祭壇画を制作しました。ルーベンスの傑作『キリスト磔刑図』『キリスト降架』『キリスト復活』『聖母被昇天』がノートルダム大聖堂に納められています。

1872年にイギリス出身の女性作家が『フランダースの犬』を出版しました。そのお話の中にこのノートルダム大聖堂とルーベンスの作品が出てきます。

ノートルダム大聖堂のファサードです。とても大きかったです。
棟の高さは123mもあります。「ベルギーとフランスの鐘楼群」として世界遺産に登録されています。町に綺麗なカリヨンの音が響き渡っていました。
街角から見えるアントワープ大聖堂。
ステンドグラスもとても綺麗でした。

大聖堂内部の祭壇。マリア様の像がありました。
大聖堂の内部にはフランドル地方の16世紀から17世紀の巨匠の絵画が美術館のように展示されていました。これらの作品はアントワープ王立美術館とのコラボレーションで実現されました。
私は、『フランダースの犬」のネロが観た『キリストの降架』の写真を撮っていませんでした。キリストが十字架にかけられている姿に耐え切れない悲しみを感じたからだと思います。
マリア様がイエス様を抱いている姿の写真ばかり撮っていました。同じ母の立場だから仕方ないのかもしれません。
みどり
旅行した際には訪れませんでしたが、すぐ近くにルーベンスの家兼アトリエであった「ルーベンスの家」があり、見学することができます。

プランタン・モレトゥスの家屋、工房、博物館

16世紀にクリストフ・プランタンが築いた、当時のヨーロッパで最大規模の印刷所です。ルネサンス様式とバロック様式が混在した建物で、館内には印刷機器や書物などが保管されていています。2005年に世界遺産に登録されました

印刷工房が当時のまま保存されています。印刷革命の歴史を垣間見ることが出来ました。
親交があったルーベンスが描いたプランタン一家の肖像画などの作品も展示されています。
歴史の重みを感じるゴージャスな空間。

メール通り

メール通りにはオシャレなファッションストリートです。

みどり
ユニクロも出店していました。

アントワープ中央駅

アントワープ中央駅は「世界一美しい駅」とも言われています。19世紀から20世紀に建築されました。

アントワープ中央駅正面。とても豪華で重厚感があって、歴史ある駅という感じでした。

「鉄の大聖堂」とも呼ばれ、重要文化財にも指定されています。

まとめ

アントワープは中世と近代が融合した大きな都市でした。

ブリュージュからアントワープ、そしてアムステルダムという順で中世に都市として発展してきたことを歴史を学んで知ることが出来ました。また、ベルギーが立憲君主制の国家として独立し、永世中立国となった以降、19世紀に産業革命が起こってアントワープが再び発展し、そして、現在もベルギーの第2の都市として経済的にも重要性を持つ都市であるということもよく理解することが出来ました。

ベルギーの旅で思い出すのはカリヨンの音です。カリヨンの音は心を落ち着かせてくれて、とても心地よいものでした。目で見た景色のイメージより、カリヨンの音の方がより鮮明に記憶に残っていることが不思議です。思い出すだけで心に静けさを感じ、穏やかな気持ちになります。

読んでくださり有難うございました。

ブログランキング・にほんブログ村へ