先日、 ~
イヴ・サンローランはジェンダーレスファッションの生みの親
以前、私は『クリスチャン・ディオール展』に行きました。それで、ディオールが1957年に心臓発作で亡くなった後、イヴ・サン=ローランがクリスチャン・ディオールのブランドを引き継いだということは知っていました。
プレタポルテ(既製服)の普及に貢献
オートクチュールがまだ主流だった1966年、イヴ・サンローランは自身の名を冠したプレタポルテのブティックをオープンし、大きな成功を収めました。このプレタポルテの普及が女性がパンツスーツを履くスタイルを押し広げていきました。
アートとファッションの融合
イヴ・サンローランは「アート×ファッション」のコラボレーションを世界で初めて取り入れました。
フィンセント・ファン・ゴッホ、アンディ・ウォーホール、パブロ・ピカソ、アンリ・マティス、ジョルジュ・ブラックなどの芸術家の作品を愛していたイヴ・サンローランは、巨匠たちの芸術作品へのオマージュを込めた作品を発表しました。中でももっとも有名なのは、1965年に発表した「モンドリアン・コレクション」です。
まとめ
大学の卒業旅行で友人と二人パリ弾丸旅行をした時、私はお土産にイヴ・サンローランの香水を買いました。パリの女性がとても素敵に見えて、香水をつけたらパリの女性みたいに雰囲気のある素敵な女性になれる気がしたからです。それから就職して香水のことはすっかり忘れ、香水はいつの間にかどこかに行ってしまいました。しかし、イヴ・サンローランが世界で初めて発表したパンツスーツのような、フェミニンかつどこかマスキュリンなパンツスーツも好んで履いて、同期の男の子と机を並べて働いていた会社員時代があったことを思い出しました。
今回、『イヴ・サンローラン展』を観にいったことでイヴ・サンローランのことを色々調べてみました。展示を観ている時は、以前に観た『クリスチャン・ディオール展』のような女の子が浮き浮きするようなお花の世界ではなく、ダーク系のパンツスーツやモンドリアンのドレスからどこか直線的で男性的で硬いイメージを持ちました。私は子どもの頃はバレエを習っていたのでお花の世界が大好きな女の子でしたが、大人になってからは男性と対等に働く女だった瞬間もあったので、どちらのファッションにも共感します。1960年代、『ル・スモーキング』を通して女性に男性と対等な自由と自信と力を与えてくれた革新的なイブ・サンローランの姿勢はとても素晴らしいと思いました。
色々調べてみて、イヴ・サンローランはジェンダーだけではなく肌の色などダイバーシティを推進していたことを知りました。80年代に黒人のナオミ・キャンベルがフランス版VOGUEのカバーを飾ったのも、イヴ・サンローランの「僕に任せて」の一言がきっかけだったようです。
イヴ・サンローランはファッションを通してダイバーシティを実現しているので、革新的な姿勢も含めて素晴らしいブランドなのだと知ることが出来ました。
2002年にイヴ・サン=ローランが引退してから10年後、エディ・スリマンが『サンローラン パリ」を設立しました。エディ・スリマンはイヴ・サンローランでアーティスティック・ディレクターを務めていた人物です。エディ・スリマンはクラシックのイメージが強かったイヴ・サンローランに、ロックや少年性といったテイストを加えました。今では一般的になっているスキニージーンズのフォルムを完成させたのもエディ・スリマンだそうです。
私がよく履いているスキニージーンズもハイブランドのサンローランがデザインしたものが市場に落とし込まれたのだと知り、ファッション業界ってすごいなと思いました。
読んでくださり有難うございました。